2011年4月9日土曜日

東日本大震災 支援物資運搬レポート

東日本大震災への救援物資の収集ご協力頂いた皆様、ご尽力いただきありがとうございました。皆様の気持ちを被災地へ4月Ⅰ~3日に届けてまいりましたのでご報告いたします。

救援物資は、2トン車満載で出発する事ができました。深夜2時に出発し、日立市に8時半につく事が出来ました。

日立青年会議所メンバーの方々と情報交換をして、北茨城市の集配場へむかいました。

最初の頃は物資もほとんどなかったが、報道が入ってから全国から一斉に救援物資が送られてきたそうです。現在は、ある程度安心できる量の物資もあり徐々にライフラインが回復してきているのでないところにまわして欲しいとの事でした。
すでに物資は十分あるとのことだったのでいわき市で活動している日本ユニバ対策チームの方を尋ねました。

 ボランティアで公民館や自宅で避難している方へ物資を届ける為に活動している皆さんです。


ご老人が多い地域との事で、介護品を主体に物資をお渡しました。水の復旧ができていないとの事で、入浴できなかったり、歯も満足に磨けない状態だそうです。肌着やウエットティッシュ(体拭きよう)、マウスウォッシュを渡しました。
 
当然、食器も洗えませんので紙皿やコップもよろこばれました。あと、おにぎりやパンが主体の食事になる為、ビタミンを補充できる食品が欲しいと要望がありました。野菜ジュース、野菜スープがあったのでお渡ししました。

その後、仙台市内に移動し宿泊しました。

翌日は七ヶ浜の老人介護施設 第二清楽苑に向かいました。こちらの地区は、水はでないが、ガス.電気は復旧しているとのことでした。水に関しては近隣で出ているところがあり、そこから水を運んでくれるボランティアの方がいるそうです。


  物資に関しては、近所の市役所から定期的に送られてくるとの事で、あたたかい食べ物も提供できているそうです。お風呂に入れないので、こちらでもウェットトティッシュとトイレットペーパーなどをお渡ししました。
あと、インフルエンザやノロが心配との事で、特殊な除菌剤も渡しました。


 その後、釜石へ釜石青年会議所が、救援物資を被災者に配布しているとの情報をもらい伺いました。


釜石周辺は、津波の被害がひどく一階屋根付近まで浸水したようです。


左写真は工場の鉄骨とタンクローリーが絡み合い道がふさがった状態になっていました。


建物は残っていても津波で押し寄せられた瓦礫が家屋の前に山済みになっており撤去するのに重機が必要。また、今回の震災で出たゴミが3日間で23年分のゴミがでてしまい、ゴミ処理も大きな課題になるそうです。



道は泥で覆われていて主要な道路は、重機にて除去されていましたが、会社敷地内や個人敷地に関しては目処が立たない状態でした。乾燥してくると粉塵が舞い、マスクがないと辛い状態でした。


釜石青年会議所で行っている支援物資配布に長蛇の列が出来ていました。全国からの支援を無駄にしないようにする事と、自宅避難している方にも支援物資を配布できるようにの事でした。

4分以内に欲しい物を取る方式でした。たまごや食品等行政はでは受取らない支援物資を塩釜青年会議所で受け取り、仕分けをして無料配布していました。
静岡からペット用品を持ち込み無料配布している団体もおりました。





大部分の支援物資を塩釜青年会議所にお渡しし、一緒に配布していただきました。まだお店が休業状態なので、皆さんあかちゃん用品であったり、服であったり、必要なものを手にしていかれました。


その後、女川町の避難所へ向かいました。

ビルが根元から倒壊。あたり一面あとかたまない状態でした。地盤が沈下してしまし海水が引かない状態になってました。自衛隊の重機が入り建物を慎重に撤去し行方不明者の捜索を行ってました。




女川町総合体育館が避難所に800人の方が避難している。自衛隊の活動拠点にもなっており、各避難所への支援物資運搬や行方不明者の捜索、入浴施設の運営、またボランティアによる子供向けエアトランプリンなどが設営されていました。
 


























こちらの集配所では、体育館に避難している800人と22箇所の避難所に物資を送っている為、これだけあっても一日2食しか配布のが精一杯とのことでした。食事のメニューも、おにぎり+缶詰か菓子パンのどちらかを一食とし間に合わないときにカップめんをだしているそうです。子供用のお菓子を中心に残りすべての物資をお渡ししました。

まだまだ復興までは程遠い状況です。被災地の状況に引き続き注目し出来る事を探していく事が重要だと感じました。

2011年4月3日現在の状況レポートです。